ニムロッド
ひとの行き着く先
anytime 宝塚安倉
ボディソープとシャンプーが!
寄席初体験
浅草演芸場は地下鉄浅草駅より田原町の方が近い。
なんか仕事に頭打ち感があった。
刺激が欲しかった。
ブレイクスルー感が欲しかった。
非日常を体験しよう。
最初に探したのはスポーツの試合
12月1日は、みたいと思う試合がない。
じゃあ劇場
笑いを探す。
ルミネは一度行った。
せっかくなんで、東京いるんだったら、落語。
落語といえば浅草
ということで、夜の部にいくことに。
持ち込みOK
アルコールもOK
ということで近くのローソンで調達
夜の部は16時40分から
木戸銭と呼ばれる入場料2800円払って入場
この先がホール
中は撮影できない。
16時半前にはいったら、昼の部のトリの落語家が落語をしていた。
ほぼ満員。なかなか熱気があった。
途中からだが、初めての落語体験。
落語家は小さく感じた。
ほどなく終わり、ほとんどの客が帰り、ガラガラの席で前から7列目の落語家の正面になる場所に座った。
プログラムにも名前のらない前座の落語が始まった。
緊張が伝わる。
それが終わると次の落語家から、プログラムに沿って登場。
それぞれの落語の批評は出来ないが、自分が期待したモノは得られなかった。
話が面白いとか面白くないというのはあるが、落語家からは刺激を受けなかった。
高座にいる落語家と客席にいる自分の間の距離はおそらく10メートルもない。
ただ、目の前の落語家が同じ場所を共有しているのではなく、高座っていう場所が何かテレビの向こうの景色に見えて、LIVEを味わえなかった。
宝塚歌劇は、2階席からでもLIVE感を感じて、刺激を得られた。
落語は表情がわかる距離にいるからこそ、テレビと同じサイズで新鮮味がなかったのかもしれない。
Live は観客も含めて作られるもの。
一番後ろで見てみると違うのだろうか。
次は試してみよう。
劇場出たあと、木戸銭窓口見ると横に注意書があるのに気づいた。
試されてる。
皇居乾通一般公開
この週末は、仕事をしないと間に合わないはずなのに、
昨日は、気分転換をして、インプットが必要だという自分にしか通用しない合理的な考えでもってサイクリングと寄席に行ってしまった。
明けて、今日日曜日。
今日は朝から仕事!
と意気込んでたが、皇居乾通り一般公開のニュースを見て、「東京で休日を過ごせるチャンスはそうないんじゃないか」と合理的な考えに至り、午前中、皇居に行くことにした。
そもそも皇居は前を通ったことはあるが近づいたことがない。
何事も経験。これも合理的な考えに至った1つの要素だ。
改札を出ると・・・
長い、遠い、さすが大手町
って歩いたら、5秒でD2出口についた。しつこいぐらいに一般公開の案内あるので間違わない。
地上に出たらくすんだ色の服を着た人たちがたくさん皇居に向かっている。これに乗っていけばつくはず。年齢層はやはり高い。
途中江戸城の石垣あとと案内が書いてあって。平たい石垣。
坂下門へ
よく見る皇居の敷地?めっちくちゃひろい。東京のど真ん中にこの広さは皇族のなせる業。坪いくらなんやろ。
ウワサのDJポリスを初めて生で見た。
でもしゃべってる内容はDJ というよりは、平日昼のAM ラジオパーソナリティー
皇居の敷地?砂利道にはいったら渋滞が
手荷物検査あるんか。そりゃそういう思想の人にとってはいいチャンス
そういえば、今日はこんな格好で来てた。他の人と比べて浮いてる。しかもそういう思想の人って思われるんか?いや、むしろこういう場所に来る人の思想の方々が着てそうな服なんで、大丈夫やろ。
持ち物検査の前では、しばし待つ。が・・
前の外国人と日本人のカップルがめちゃくちゃイチャだした。人目もはばからず、ちゅっちゅやりだした。
「男女七歳にして席を同じうせず」を知らんのか!と皇宮警察が不敬罪で持ち物検査のところでストップしないかな。
と思ったら、にこやかなお巡りさんがチェック。
自分も含めて何の問題もなく通りました。
これが坂下門
坂下門といえば、坂下門外の変
ここは、まだ坂下門くぐってないから、坂下門外の変は、この辺でおきたのか。
こんなところで尊王攘夷の志士に老中が襲われるって、なかなかの無法地帯
坂下門内
坂下門をくぐったら、すぐ左側に天皇が住んでいるという宮殿。こんな物騒なところに天皇が住んでるのか。
いや、天皇が住み始めたのは明治時代から。
最近身内からもイヤ事言われている宮内庁。普通に歴史建造物
ここ60キロで走ったら、やっぱり検挙されるんやろうか。
このあたり切り取ると、2018年なのか1900年なのかわからない。石垣がそのままになっているってすごい
渋い建物が続く
天守台
ここで、分かれ道があって、「天守台」の方へ。乾通に戻れるもんだと思ったら、戻れなかった。
石垣を積む技術ってどういうもんなんやろうか。
気になるので、調べてみました。
なるほど、でも何積みなのかよくわからんかった。算木積みか?
天守台。どうってことなかった・・。余りプレミア感がない。
ここは布積みらしい。
天守台のてっぺん。遺構感があって、ここはいい感じ
汐見坂から大手門へ
汐見坂という坂。東京は大阪と比べて緑が多いのは、皇居があるのと、大阪のように土地があれば、何か作らな損だという気持ちがないからなのか。
町も道路もゆとりがある気がする。
地図には皇宮警察って書いてあるけど、なんかの道場みたいな感じ。
調べてもよくわからん
美術展やってた。タダなので入ってみた。
明治時代の絵画が展示されてたがよくわからんかった。
大手門渡櫓だいぶ立派
でも大手門は結構質素。ここで皇居終わり
脱出したら大手町の駅だった。
途中で天守台に行ったことを後悔しつつも、とりあえず皇居に行ったっていう経験ができたのでよかった。
これでまた経験値が少しアップした。
これで気持ちよく仕事できる。
あっ、きょうはM1グランプリの日だった。
人を喜ばせたいひと
人に喜んでもらうことに生き甲斐を感じる人がいる。
確かに喜んでくれたら嬉しい。
ただ、その人が本当に喜んでいるのか、愛想で付き合っているのかの見極めは必要
人を喜ばせたい人は、人に興味があるパターンが経験上多い。
ただ「ジュゼッペさん嬉しそうにしてた」って第三者に言うたり、グループのチャットで呟いたりすることも多く、そのときはこっちは不愉快になる。
喜んでいる=その事象を受け入れるっていう話で、僕はその人の手前、愛想で喜ぶことがあったりする。
受け入れにときははっきり言えっていう向きもあるが、コミュ障にはハードルたかい。
ここを理解してもらえない人が、あちらの村には多い気がしてる。
歩みよりは必要だが、こっちの感情を勝手に判断して公開しないでほしい。
結果全く喜べない。
書きかけてやめること
ブログにしろ、チャットにしろ、SNSにしろ、書きかけてやめることが結構多い。
結構な長文を書いて、大した内容でもないのに、
「これって、公開して万が一身元がバレて、知り合いが見たらダサいんじゃないか」て思われないだろうか。
チャットで、「あざます!」って一言返事を書こうとして、送信ボタンを押す前に「あざます!」って何を若っぽい感じで、距離を縮めに来てるんやろ、キモっ!
って思われないだろうか。
結局、書きかけて消すか、「ありがとうございます」っていうありがたくない無難なワードで送信する。
誰も自分のことそこまで興味持ってくれてるわけじゃないけど、自分はこういう人間だって思われたくない。
でもこれって、興味を持ってほしいっていうことの裏返しなのか。
会社や社会の中で演じている自分を壊したくないと思っているからなのか。
今、このブログの↑を見返して、消したくなった。
でも自分に向き合うために消さない。左下の「公開する」ボタンを押してみよう。
何にも起きないから。
ブログを書く目的
何か月かに1回ブログを書きたくなる衝動に駆られる。
いまがその時。
理由は、たぶんこんな感じ
①めちゃくちゃ締め切りに追われている仕事があるのに、やる気が出なくて。
テスト前に部屋の掃除するかのように、何か別のことをやりたくなってしまう。
②patoさんの記事のように、手が届かないのに、手が届きそうって思えるような絶妙なバランスの記事読んでしまい、自分の中の文豪になりたい欲求があふれ出る。
で、patoさんの18きっぷの記事もよんで、駅メモをインストールして、遊んでしまうなどして、結局明日までにやらなきゃいけないことを、時間単位で後のばしにしてしまって、今これをららぽーと甲子園のカフェで書くに至っています。
ブログを書きたくなる欲求から、ブログを書く目的を考えてみるに、結局ストレスのはけ口なのかというしょうもない結論になりそうです。
ストレスのはけ口なんだったら、そういう気持ちでブログに向き合えばいい。
と、別の自分に励まされているので、そうしようか。
ただ、えんえんストレスのはけ口みたいなばかり書くと、「炎上」みたいな話になって、そもそもストレスのはけ口のブログがストレスになってしまいそう
って思ったけど、そもそも何の影響力もないブログは、誰も前を通らないので、そういうのは、放火魔が狙ってくれるところに家を建ててから心配しよ。
ということで、あんまり何も考えずに、書いてみたほうがいいと思って
重い腰を上げてかいてみようと思います。
こんなブログ書いてるヒマあったら、はよ仕事しろ。
ラジオから森田知事の声がしたから、もうすぐ午後